秘密のカルテ〜郁美の受難(サンプル)

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1 児玉デンタルクリニック

 早く父を手伝いたい一心で猛勉強した。
 「児玉デンタルクリニック」は Q 駅そばの一等地にあり、近隣のマンションの住人、勤め人や学生、矯正のために市内各地から通う子どもで賑わっていた。小学生のころから掃除を、高校に進学してからは簡単な事務も手伝ってきた郁美は、忙しく立ち働く父を見るうち、いつしか歯科医を目指すようになっていた。
 旧来の患者たちの中には、幼いころから郁美を知る者も多い。父・児玉俊作の出身校でもある国立 P 大の歯学部に合格したときには、我が子のことのように喜んでくれた。
「腕のいい院長先生と若くて綺麗なお嬢さん先生のコンビなら、当分は安泰だ」
 もともと児玉は県内でも指折りの腕である。いつか引退するその前に郁美が後をきちんと受けつげれば、確かに順風のはずだった。
 患者らが言うように、郁美は美しく育った。事務を手伝い始めた高校生のころから
「おれは郁美ちゃんが目当てで来てるんだ」
と冗談まじりに話す者はいたし、治療の助手を始めた大学時代には
「先生じゃなくて郁美ちゃんに診てもらいたいんだがなあ」
などと、無理を承知で言う者もいたものだ。郁美にとっては、忙しかったが楽しい時代だった。
 熱愛の末に父と結ばれた母は、郁美が高校 2 年のときに亡くなっている。郁美は母の若い頃に瓜二つということであり、小学生のころから美少女の誉れ高く、中学・高校と新体操に打ち込んだことで健康的な美貌に磨きがかかった。大勢の中で目立つほうではないが、 159 cm 、 42 kg の均整の取れた肢体は擦れ違う男の視線を釘付けにする。大学時代も化粧の類はほとんどしたことがなく、髪を軽く染めたり、ピアスをしてみたりした程度だ。
 しかしながら、異性関係はさっぱりだった。大学時代に同窓の何人かと交際をしたことはあるものの、どれも長続きしなかった。郁美が付き合い下手なのが一因だが、男たちも歯科医の卵なので、どうしても将来は結婚という線でお互いを見てしまう。恋愛に一途になれなかったのだ。
 そんなわけで、才色兼備との評判にもかかわらず、付き合っている男はいない。そして−−
 大学時代の交際相手と何度か肌を合わせるに至ったが、同世代の女たちに比べると経験は格段に乏しい。間もなく歯科医のヒヨコになるわけだが、セックスについても同様にヒヨコのレベルだった。
 大学時代の異性関係といえば、不愉快な記憶もある−−
 安布里豪というその男は同じ P 大の医学部の学生で、入学式で郁美に一目惚れして接近してきたのだった。 P 県でも指折りの総合病院の経営者の一人息子で、二浪の末の合格のため 2 歳年上。国立大の医学部に受かる根性は備えていたが、身長 180 cm で体重 100 kg 超という肥満体は不健康そのもので、よく医学部の面接試験を通過したものだと不思議なほどだった。顔の造作も悪く、男の容姿には寛容なつもりだった郁美もさすがに付き合う気は起こらなかった。せめて性格が良ければ可能性もあったが、たびたび帰り道で待ち伏せをしては金のかかりそうな遊びに誘うので、郁美は逃げるのに必死だった。
 ある日、
「卒業したら安布里総合病院の歯科に就職したらいい。僕と一緒になればゆくゆくは院長夫人だぜ」
などと愚鈍そのものの顔で言う。父のクリニックで一緒に働くつもりだ、と郁美が遠回しに断ると、
「そんなチンケな町医者じゃつまらな」
 安布里の台詞を最後まで聞かずに平手打ちを浴びせたのだった。安布里はそれ以来郁美に付きまとうのをやめ、金に任せて風俗遊びにのめり込み、大学 1 年次から早くも留年したという。

 郁美が大学 6 年になった春、児玉はクリニックを全面改装、新型の機械も入れて、郁美とふたりでやっていく準備を始めた。ゆくゆくは郁美に全部任せることになる。学生の郁美は許される範囲内で治療の手伝いをし、歯科医の実務を仕込まれた。大学での勉強や実習と併せて毎日多忙を極め、友人と遊ぶ暇もなかったが、試験やレポートでは父にずいぶん助けられた。父が練習台になってくれたこともしょっちゅうだった。
 やがて歯科医師の国家試験に無事合格し、大学病院での研修も終わった。ようやく父と一緒に立ち働く日が訪れると、郁美のことをどこで知ったのか、雑誌『週刊 JIDAY 』から取材依頼が来た。
 「美人女医・内緒のカルテ」という記事で、女性の開業医・勤務医を写真やインタビューとともに毎週ひとりずつ紹介するものだ。いわゆる医師に限定せず、歯科医や獣医も登場している。
 過去に登場したのは 20 〜 30 代の美人ばかり。そして、決まったように座った姿勢で、スカートの裾から脚を露出している。雑誌そのものがおもに男性向けなのだから、これも読者サービスということなのだろう。
「ぜひ児玉さんに、記事の 100 回目を飾っていただきたいんです」
 ひと目見て郁美を気に入ったらしい記者に、強く要請された。
「私なんて、まだ研修中みたいなものなんですよ」
 当惑して父を見る。反対するかと思いきや、載せてもらいなさいと言う。
「いずれお前が院長になるんだから、顔が売れていたほうがいいと思うぞ」
「その通りです。この記事に掲載された方たちで開業されている場合は、 100 %増収だそうですよ」
 写真は脚線を強調して見せてはいるものの、いやらしいという感じはしない。もちろん、それは見る者にもよるのだが−−
 結局、承諾した。こういうのを経営判断というのだろうか。歯科医としての腕ではなく、まるで色仕掛けで患者を呼ぶようで、郁美は少し後ろめたかった。
 いざ記事になってみると、以前からの患者たちは絶賛してくれた。
 普段はしないメイクもし、白衣の下には短めのスカートを穿いて、椅子に座り脚を斜めに整えたポーズ。 100 回目だというので、カラーだ。郁美の美貌、健康的な色気もを余すところなく伝えている。我ながら綺麗に写っていると、郁美も思った。
 もともと脚の線には自信があった。外出するときは大抵スカートか、気分を変えたい時はショートパンツ。カラフルなストッキングで脚を演出するのが大好きだ。真冬でもパンツやジーンズを穿くことは滅多にない。脚に自信があるのとは対照的に、胸は全く貧弱なのだが。
 強ばり気味の笑顔でフレームに収まる郁美の横にデータが載っている−−

   児玉郁美先生
   25 歳  歯科・矯正歯科  児玉デンタルクリニック( Q 市)
   身長 159 cm
   趣味は?−−ピアノ。最近あまり弾いていませんが。
   恋人は?−−いません。
   モットーは?−−いつも朗らかに。痛みのない治療を心がけます。
   歯科医を志したのは?−−父を手伝っているうち、自然に。
   〔ひとこと〕まだ新米ですが、早く一人前になるべく、父のもとで
    毎日研鑽を積んでいます。

 記者が言っていたとおり、男性を中心に新しい患者が増え、忙しさが増した。何でもなさそうなのに「虫歯が痛むような気がする」と言って来る者も珍しくない。明らかに郁美を見に来ているのだ。クリニックのホームページへのアクセスが増えたのも、郁美の写真が目当てであるのに違いない。
 見られるのには少女時代から慣れてはいる。ただ−−週刊誌に写真が載り、不特定多数の男性の目に触れていると思うと心中穏やかではない。そのうちの一定割合は郁美を欲望の対象として見、写真を見ながら欲望の“処理”をしているのかも知れない。そう思うと不安が募り、そしてまた郁美自身の欲望も刺激されるのだ。
 セックスの実際に関してはヒヨコでも、性欲はある。というより、むしろ旺盛だ。最初のオナニーは 9 歳のときで、今も毎晩のようにしている。身体や頭が疲れているときなどは欲求が一層高まって、拙いオナニーでは物足りなく思うこともしばしばだ。
 男の人に抱かれたい−−自分を慰めながらそう願う。相手は問わない。恋愛がなくてもいい。これから相手を見つけて愛情を深め、やがてセックスに至る、というような段階を経ていては身が持たないのだ。この欲望の火照りを鎮めてくれるのなら、喜んで身体を委ねたいと思う。
 秘密の願望は、オナニーの際に脳内で過激に具体化していった。
 『週刊 JIDAY 』の記事を見て郁美への劣情を深めた男が、夜ごとの性欲処理では飽き足らず、ついにストーカーとなる。通勤の近道に利用するいつもの公園。郁美を尾行する影は間合いを詰め、やがて襲いかかってくる。郁美はスカートにピンヒールだから自由に走れない。すぐに捕まり物陰に連れ込まれる。貪るような責めに郁美の身体が抗しきれるはずはなく、恥ずかしい悲鳴とともにたちまち絶頂させられる。そして、逞しい一物が貫いてくる−−
 こんな妄想をしながらオナニーをすると快楽の深さが桁違いだった。自分に強姦願望があることをうすうす気づいていた郁美だが、今やそれをはっきり自覚するに至った。誰かにめちゃめちゃに犯されたい−−そんな願望を抱えたまま、毎日が過ぎていく。

 いずれにしても患者が増えたのは結構なことだった。淫猥な欲求も忙しさに紛れていった。そんな、クリニックにとっては絶好調ともいえそうな風が吹いている最中−−父が事故に遭った。
 年始の休暇を終えようとしている時だった。大学時代の同窓会に出た帰り、酔って階段を踏み外したという。病院に駆けつけると手術室の前に同窓生が数名付き添ってくれていた。すっかり酔いも覚めた様子で、事故の顛末を話してくれた。
「児玉くんは呑めないのに今日は酒が進んだ。それで珍しく二次会にも来たんですが、店を出るときは酩酊状態で」
 2 階から降りるのに、エレベータがなかなか来ないから、と階段を使おうとしたらしい。
「あっ、と思ったときには転落していた」
「…ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
 頭を下げると、
「我々こそ、一緒にいながらこんなことになってしまって、お詫びのしようもない」
 彼らも全員が深々と頭を下げた。何か役に立てることがあれば、と全員が名刺をくれた。
「あなたのことを嬉しそうに話していました。念願叶って娘と一緒に働けるようになって、こんなに幸せなことはないってね。私も近くで開業しているので、お困りのときは力になりますよ」
 私と入れ替わるように引き上げる際、そう言い置いて行ったのは柿崎という男だった。

 父は命は取り留めたものの頭部を強打しており、意識は戻らない。私は自宅と父の入院先の病院、そしてクリニックを慌ただしく移動する毎日となった。クリニックでは悪戦苦闘の連続。ベテランの衛生技工士さんはいても医師は私ひとり。数年間父に仕込まれてきているとはいえ、院長代理を名乗るにはまだ治療は覚束ない。旧知の患者さんが多いから良かったものの、新規の人には頼りなく思われたことだろう。
 父が意識を取り戻したとしても、障害が残れば歯科の治療はできない。なんとかしなくては−−
 そう考えつつ診療の片付けをしていると、病院で会った柿崎が訪れた。
「この間のメンバーの代表で来ました。お父さんはどうです」
 玄関で迎えると見舞いの花を渡された。
「ありがとうございます。毎日様子を見に通っていますが、まだ意識は戻っておりません」
 身長 180 cm 近い柿崎を見上げながら話す。父よりも若く見えるが、痩身で眼光が鋭い。第一印象は「怖そうな人」だったが−−
「いい病院だ」
 待合室、診察室と順に見て柿崎は言った。
「それから、院長代理の先生もいいお嬢さんだ。私も記事を見たが、普段着のあなたも素敵じゃないですか」
「ありがとうございます」
 記事の写真はメイクもしているし、修正こそされていないが「出来過ぎ」だった。仕事の時には化粧はしないが、少しでも元気を出すために服装は工夫している。記事を見て来てくれる患者さんをがっかりさせたくないせいでもある。今日はクラシックな感じでほんのりと色香が漂うように、お気に入りの純白のブラウスに濃紺のスカート、クリーム色のカーディガンでまとめた。
「お父さんに仕込まれてはいるでしょうが、まだひとりでは大変でしょう」
「はい」
 そこは正直に答えた。柿崎は心配して来てくれたのだから。
「駅前の良い場所にあって、大勢の患者さんがいるだろうに、院長さんが疲れ切っていてはうまくないね」
「私…疲れてるように見えますか」
 思いがけないことを言われ、咄嗟に笑顔を作ったのだが、
「無理しなくていい。お父さんのことも心配だし、仕事ではプレッシャーがある。ひとりでは身体もきつい」
 そう気遣われて、不意に気持ちの留め金が外れたようだった。目の奥がじわりと熱くなる。
「大学で勉強した通りでないこともよくあるでしょう」
「…はい」
「よく聞かされているだろうが、実は国家資格を取ってから本物の勉強は始まる。いきなり院長役では荷が重いはずだ」
「…学生時代から手伝っていましたが…ずっと父のサブだったので…」
「それは無理もない。初めから名医のやつなんかいない」
「…うっ…」
 嗚咽が漏れるのを手で押さえたが、涙が滴るのを止めることはできなかった。そのまま両手で顔を覆ってソファに沈んだ。
「手伝わせてほしいんだが」
 私の正面に身を屈めて肩に手を置き、柿崎は言った。涙を拭うのも忘れて顔を上げた。父の事故以来、泣いたのは初めてだった。
「…ほんとうに?」
「早速明日から来ます。厄介なものは私が引き受けるか、私が教えながら一緒にやることにして、初期の虫歯とか、自分でできそうなところから自力でやるといい。そうして実務に慣れていけばいいんだ」
 柿崎は優しかった。第一印象で「怖そう」と思ったのは全くの見当違いだったと反省した。
「旧知のお客さんが多いんでしょ。君が歯科医になるのを待っていてくれた人もいるんでしょう。こんな心強いことはないじゃないか。大丈夫、うまく行きますよ」
 再び涙がこみ上げてくる。柿崎が震える肩を擦った。
「でも…ご厚意はありがたいのですけど、先生の医院はどうされるんですか」
「うちには医師が他に常時 2 人いるから」
 柿崎が留守にしていても大丈夫なのだという。
「それから…お礼はどうしたらいいでしょうか。実は機械のローンなどもあって、お金があまりないんです」
「ああ…こう言っては何だが、自分のほうで十分稼いでるから、心配は要らない。それに他でもない児玉くんのピンチだ。商売抜きだよ」
「でも、それではあんまり」
「ならば」
 気のせいか、一瞬、柿崎の眼光の鋭さがひときわ増したようだった。
 身体で払ってもらおうか−−
 いつも強姦される妄想をしながらオナニーをしているせいか、そんなことを言われる気がした。年頃の娘として、容姿に恵まれたものとして、そんな台詞を浴びせられる場面があるのかも知れないと思っていた。今はまさにそのタイミングだ。
 柿崎と私のほかには誰もいない。万が一この場で押し倒されたら−−
 息を呑んだ。だが、心のどこかでそんな期待をしていたのも確かだ。
 ところが、続けて柿崎が言ったのは、
「あなたにも、うちを手伝ってもらおうかな。これでどうですか」
 これもまた有り難すぎるというべきか、拍子抜けするような提案だった。
「通勤客を相手にひとりで夜間診療をしているんだが、君が助手で来てくれると助かる」
 助かる、と言われるとかえって申し訳ないような気もする。
「ぜひ、お手伝いさせてください」
「では火・木・土の夜間に来てもらえますか。ちょっとハードかな」
「平気です。こちらがご無理をお願いしているのですし」
「いや、そうしてもらえると私もありがたい。夜は男の患者が多いからね、こんな綺麗なお嬢さんがいてくれれば患者もたぶん増える」
「そんな…」
「謙遜することはないよ」
「…足手まといにならないように、がんばります」
「楽しみにしてますよ」
 柿崎はそのまま−−当たり前なのだが−−何もせずに帰っていった。

2 安布里総合病院

 安布里要が経営する総合病院は P 市を見下ろす高台にある。経営規模でも入院患者数でも P 県では屈指だ。その院長室に柿崎が呼びつけられたのは 前年の暮れも押し迫った頃だった。
 安布里とは普段付き合いはない。だが一介の町医者としては、県の医療界を牛耳る大病院の長に呼ばれて駆けつけないわけにはいかなかった。
「ご多忙のところ、お呼び立てしてすまなかった」
 と安布里は巨体を揺らして柿崎を迎えた。同様に巨体の若い男が同席していたが、そちらはソファにふんぞり返ったままだ。どうやら息子のようだが、安布里は不作法を窘めるでもなく、柿崎に椅子を勧めた。
「これは息子の豪。いま P 大の医学部に行っておって…何年だったかな」
「 4 年」
 不機嫌そうに豪が答えた。大学 4 年にしては薹が立っていると思ったら、まもなく 28 歳だという。浪人・留年を繰り返したに違いない。
「今日はどんなご用件でしたか」
 柿崎が切り出すと、安布里は手許の週刊誌を取り出した。柿崎もたまに読む『週刊 JIDAY 』だった。
「これは先週出たやつだが、見たかね」
「いいえ。まだ」
「では、これを見てくれ」
 巻末から何ページかをめくって広げたのは「美人女医・内緒のカルテ」という記事。連載 100 回記念とのことでカラーだった。
「や」
 見目麗しい娘だった。タイトルに美人女医とあるからにはそこそこの容姿の持ち主が登場するのが常だが、いま目の前で初々しい笑顔を見せているその娘は第 100 回を飾るに相応しかった。
(可愛い子だ。脚もいい)
 椅子に腰掛けて斜めに合わせた下肢は太からず細からず、健康的な美を見せつけている。女の脚に目がない柿崎にとっては十分に欲望の対象となり得た。週刊誌が売り切れる前に買っておかなくては。
「顔も可愛いけど、脚がまたいいでしょう」
 柿崎の劣情を見抜いたかのように豪が口を開いた。彼も同類のようだ。
「おや…」
 25 歳だというその娘は自分と同じ歯科医だった。この記事にはいわゆる医師のほか歯科医や獣医も登場するが、児玉というその姓に見憶えがある。しかも勤務地は地元の Q 市だ。
「その子の父親をご存じなのではないかね」
 大学で同期の児玉俊作をすぐに思い出した。 Q 市で開業しているという点も記憶と一致する。郁美の顔には父親の面影は認められないが。
「児玉俊作ですか」
「うむ」
 既に調べがついているようだった。医療界はもちろん県内の政界・財界にも顔が利くという安布里には造作も無いことだろう。
「大学の同期です。同窓会でたまに顔を合わせる程度ですが」
 それで俺のことも調べた?なぜ?−−
 安布里の真意を測りかねて訝しげにしていると、
「実はな」
 正面の安布里が膝を寄せてきた。
「この先の話は他言無用だ。秘密を守れるか」
 何やらどす黒い陰謀の匂いがする。返答を迷っていると、
「あんたにとっても悪い話ではないと思う。それは請け合う」
「伺いましょう」
 よろしい、と安布里は言い、続けてこう言った。
「この子をうちの嫁に迎えたいと思う」
 突拍子もない話に目を剥いた。嫁とは、そこにいる豪の妻ということだろう。
「倅はこの子と P 大では知り合いらしいんだが」
「 1 年のころ、少し付き合ってたんだよ」
「そうですか」
「性格が合わなくて別れたんだけどね」
 嘘に決まっている。郁美は聡明そうで、男を見る目も最低限あるだろう。
「ではまた、どうして結婚を」
 どちらにともなくそう訊くと、豪が口許を醜く歪めた。
「まあ…そばに置いときたいんだよね。夫婦の会話とかはいいんで」
 にやつきながら言う。ペットにでもするつもりか−−
「いつか飽きるかも知れないけど、この子なら当分楽しめそうだから。とにかく早く囲っておきたいんだ。ね、パパ」
「ああ。この美貌に、このそそる脚。早く手を打たないと売れてしまうからな」
 この父をパパと呼ぶ息子にも、この息子にパパと呼ばれて抵抗のない父にも呆れる。しかも、父も劣情を隠そうとしない。
 この娘なら無理もないとは思うのだが、親子で性奴隷にする気だとは−−
 柿崎はしばらく言葉を失っていた。
「幸い、今のところこの子の周辺に男の気配はないが」
「して、私の役割はどのような」
「この子をたらしこんで貰いたい」
 またしても思いがけないことを言った。
「まさか」
 郁美のような若く美しい娘を惹きつける力など、もとより柿崎にはない。
「心配するな。方法はある」
「しかし」
「柿崎さん。あんた、この娘を嬲り者にしてみたいとは思わんかね」
 唾を呑んだ。柿崎の欲望に火が付いているのを安布里は見て取ったようだ。
「あんたも結構好き者だという情報だ」
 柿崎は P 市内の SM クラブの常連だ。学生の頃からだから、かれこれ 30 年ものキャリアがある。各種の縛りなどはお手の物である。
「ご存じでしたか」
「それもあってあんたに声を掛けた」
「私はクラブでのプレイ専門で、素人に手を出したことはありません」
「だから誘ってるのさ。この子を犯るのなら気合いも入るんじゃないか」
 児玉俊作の DNA が入っていると思うと萎える部分もあるが、その点を差し引いても郁美は魅力的だ。
「わかりました。腕の振るいようがあります」
 よし、と安布里が言う。
「たらし込む方法は後にして、これまでの経緯から話そう」
 大病院の院長にこんな顔があったとは−−
 無言でいる柿崎にほくそ笑みながら、安布里が続ける。
「倅は郁美と別れたといったが、実のところ相手にされなかったらしい」
「パパ。それはいいだろ」
「聞いて貰おうじゃないか。同級生の面前でこっぴどく振られたらしい。な」
「ビンタを喰らったよ。もう 7 年も前だ」
 よほど馬鹿なことを言ったに違いない。郁美は忘れているかも知れないが、豪は今だに根に持っているようだ。
「それで倅は大層ショックを受けてな。しかし郁美のことを諦められず、勉強も手につかない。留年を繰り返しているうちに郁美は卒業して歯医者だ。こちらはやっと 4 年」
「ざまあねえよな」
「まあ、逆恨みかも知れんが、郁美がこれを振ってくれたおかげで今に至っている。自分はスイスイと希望どおりに進み、週刊誌にまで登場ときた」
「全くだ。何様のつもりだろうな」
 逆恨みに違いないだろう。
「ふふ…というわけでな」
 安布里の顔にも、豪の顔にも、卑劣な笑みが浮かんでいる。
「いい気になっているお嬢さんに、ここはひとつ思い知らせてやりたい。嫁に迎えるのはその後だ」
 理由づけは何でもいいのだろう。 7 年ごしの劣情を晴らし、己れらの欲望を満たすために、郁美をとんでもない目に遭わせようとしているだけだ。
 だが−−
 柿崎もまたその話にのめり込みつつある。郁美への劣情がいや増すに従い、幸福の絶頂にあるはずの児玉に一泡吹かせてやりたい欲求も芽生えていた。
「俺の知り合いに、そういうのが得意なのがいてね」
 そういうの−−とは、女を陵辱する仕業のことだ。
「インディーズの DVD に出たりしてるんだけど、なかなか鬼畜な連中さ」
 そんな連中とも付き合いがあれば、医学部を留年するわけである。
「記事を見せたら大乗り気でね、この子を犯れるなら自費で手伝うとさ」
 この清楚な娘を、そんなケダモノを使ってまで辱めようというのか−−
 柿崎は呼吸の乱れを抑えられない。
「口止めはしてあるだろうな」
「大丈夫。全員の素性を掴んであるし、パパの力を知ってるから」
 ぐひひひ…と本性をさらけ出して嗤う親子に、柿崎は問うた。
「…そこまでとは…」
「え?」
「いえ、失礼。ちょっと無茶なような気もするので」
 額の汗を拭きながら言うと、
「無茶だからいいんじゃないですか」
 豪が答えた。
「ご自身の思いを果たすだけでは足りない?…つまり…」
「ああ…どうして自分だけでやらないかってことですか」
 そうだ、と頷くと、
「それが俺の性癖だからですよ。マンツーマンのラブラブなセックスなんか、興味なくてね」
 と豪は言う。
「それから、俺にとって女は狩りの対象です。追い詰めて、辱めて、苦しませる。それが俺の快楽。さっき話した連中もね」
 安布里は頷きながら聞いている。豪の性癖は親譲りということらしい。
「お前の性癖もだが、死ぬほど恥ずかしい目に遭えば、この子もわしらのものにならざるを得んな」
「こいつもまんざらでもなかったりしてね」
「そうそう」
 いいことを思いついた、という顔で安布里が膝を叩いた。
「郁美もいい年頃だ。健康な女なら性欲は当然ある。男の気配はなくとも、人に言えない願望を抱いてる可能性はあるな」
「それを暴いてやれば完璧だね、パパ」
 変態親子の会話は際限なく過熱していく。
「具体的にはともかく、何をお考えかは見当がつきました」
 柿崎がいたことを思い出したように、よろしい、とまた安布里は言う。
「拉致してしまうのは簡単だが、郁美が急に行方不明となれば警察が動く。まず、郁美が勝手に行方不明になっても家族が騒がないようにしたい。家族というのは父親だけだが」
 聞けば母親は既に亡くなっているそうだ。
「そこで、まず父親と引き離す。そして郁美が自ら奸計に墜ちるように仕向ける。この 2 つが必要だ。それをあんたに任せたい。歯医者どうしでなくてはうまくいかんと思うのでな」
 安布里が計略の細部を話し始めた。

(C) 2015 針生ひかる@昇華堂

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